NPO法人アラジ 誕生までの奇跡のストーリー

下里夢美の創業ストーリー

特定非営利活動法人Alazi Dream Projectは、2014年に任意団体として創設し、2017年からはNPO法人として活動を始めました。これはそのNPO法人アラジの創業者「下里夢美」が、未知の国シエラレオネに渡航し、衝撃を受けたローカルフードの「キャッサバリーフに慣れるまで」の道のりを書いた、等身大のストーリーです。 

01 幼少期の経験

 

下里は、山梨県の田舎町、春日居町に生まれました。
両親が離婚し、1歳になる頃からは母親が女手一つで育ててくれました。
当時の下里は、両親がいる家庭を羨ましく思い、子どもながらに
「人は生まれた環境によって、将来の可能性が変わってしまうのではないか」
と考えるようになりました。
しかし母はいつもこう言ってくれました。
「夢を描けば、なんにだってなれる。どんなことにでも、挑戦していいんだよ」と。

02 シエラレオネとの出会い

下里とシエラレオネとの出会いは、下里が当時、高校2年生17歳の時です。
ドキュメンタリー番組「世界がもし100人の村だったら」を見て、その後の人生が一変しました。番組内でストリートチルドレンとして紹介されていたのが、現在の団体名となる「アラジ君」です。

2002年まで内戦が続いたシエラレオネでは、国民の半数が難民となり、残虐な方法で殺人が行われていました。

アラジ君の両親は彼の目の前で首を切られ、レイプされ、亡くなりました。たった8歳の裸足の男の子が、弟たちを養うために日々。ダイヤモンド鉱山でガラクタを集め、日銭を稼いで生活していたのです。

そんなアラジ君は、言いました。(写真はイメージです)

 

「おなかが空いた。でも、勉強がしたい。」

下里は、この言葉に強いショックを受けました。戦争を体験したわずか8歳の男の子が、「勉強をすれば、家族を幸せにできるかもしれない」と考えたことが、悔しかったのです。

「アラジ君は、これから先どんな夢を描いても、このまま努力を続けることは難しいだろう。
しかし私には、家族がいる、学校にいって、勉強ができる。
夢を描けば、挑戦し、努力することができる。

努力や勉強ができることは、贅沢で恵まれていることだった」

03 挑戦の始まり

「将来は、シエラレオネの貧困を解決するために行動する」

下里はそう決意し、桜美林大学の国際協力専攻で学び始めました。

しかし、当時日本にシエラレオネを専門に支援する団体はなく、青年海外協力隊もシエラレオネには派遣されず、日本大使館もない国です。

それでも、

「シエラレオネに挑戦しなかったら、死ぬ前に自分の人生を振り返ったときに絶対に後悔する」

という強いと、

「何にでも挑戦していい」

と言ってくれた母の後押しにより、卒業後、就職をせずにシエラレオネに行くことを決めました。

 

卒業後は、渡航資金を貯めるためにアルバイトをして、足りない分を約100万円の借金で補い、シエラレオネまでの26万円の航空券を買います。

しかし、航空券を買った翌日に、エボラ出血熱の感染が流行。感染の拡大により、その後2年間、渡航することができなくなりました。

しかし、その2年間、シエラレオネへの想いは1日も途切れることはありませんでした。

「世界のどこに生まれても、夢へのステップを平等に踏める社会にしたい」

下里は自身が掲げた生きる理念のもと、日本の若者の夢を応援するイベントを開催するようになりました。

日本の若者の夢を応援するプレゼン大会のイベントを通して、収益をシエラレオネに寄付し、集まった大勢の方に、ついでにシエラレオネを知ってもらうというムーブメントでした。

年に1回、100名規模のプレゼン大会を開催、毎月の小規模のオフラインイベントは延べ200回ほど開催し、同時に下里の「シエラレオネの貧困問題を解決したい!」という夢を、1,500人余りの人に届けることができました。

04 初めてのシエラレオネ

そして、2016年5月、エボラ出血熱が終結し、下里にとっての初めての渡航が叶います。
当時、シエラレオネに渡航する人は珍しく、インターネットに日本語で書かれている情報はほとんどなかったため、人づてにきいた話や、現地に住む日本人の方を頼っての1か月間の渡航でした。

よくスーツケースを盗まれるという噂の現地タクシーや、よく沈むと噂されるボロボロのフェリーに怯えながらも、なんとか海を越え、インターネットも繋がらない、水も出てこない、ネズミの糞だらけの地元の格安ゲストハウスに、辿りつくことができました。

現地で大人気のローカルフードである、肉や野菜をドロドロに煮込んだ「キャッサバリーフ」でお腹を下し、3日連続キャッサバリーフを食べたあと、日本食が急激に恋しくなり、自然と涙が出てきました。

猛烈な腹痛で目が覚め、ネズミとゴキブリが足元をうろつく真っ暗なトイレにうずくまり、バケツに貯めた水を確認しながら「救急車って、くるのかな…?」とうなだれる夜。

 

全然わからない、クリオ語。
1歩外を歩けば「チンチョンチャン!」とアジア人を揶揄する差別の嵐。
出かける約束をしても、時間通りに来ない人たちへのイラだち。
慣れないローカルフードに、長引く熱。
観光名所「コットンツリー」の前にむがるストリートチルドレンや、赤ちゃんを抱えた女性たち、足のない車椅子の人々に、「ギブミーマネー」とすり寄られ、何もできず逃げる毎日。

下里は、シエラレオネに来たことを深く後悔しました。

「貧しい国にただ学校を建ててあげても、何の解決にもならない、大人たちに就労してもらうことが正しいはずだ」

と息巻いて農村部へ足を運ぶも、1日1食しか食べられず、それでも勉強がしたい、学校が欲しいとすり寄ってくる、お腹が出た子どもたち。SDGs(持続可能な開発目標)なんて知らない、初等教育も受けたことがない農村部の大人たちに、ただただ衝撃を受ける日々でした。

こうして、一度目の渡航では、なんの成果も出せずに帰国しました。

05 アラジ設立

その後、1年半の間に3回渡航を繰り返す中、渡航費を支援してくださる方や、まだ任意団体の当団体に寄付をしてくださる方も増えていきました。

そんな皆さまのおかげで自然と覚悟も決まり、身近で応援し続けてくれた10人の理事と一緒に、下里は「NPO法人アラジ」を立ち上げました。

2017年、火事で家を失ったテーラー15名と一緒に、シエラレオネの魅力を伝える、アフリカ布の商品制作事業を始めました。

同年には農村部での小学校支援も始め、現在までに3校、延べ約1,000人への支援を届けています(2023年4月)。
その後も、都市の土砂災害で両親を失った子ども18名の里親宅に、継続して現金給付を届ける支援事業が始まりました(現在継続して、最貧困家庭の里親家庭・片親家庭の子どもを選定し、首都フリータウンとケネマ県へ支援を届けています)。

また、2018年には、首都フリータウンに現地オフィスがオープンしました。2021年にはケネマ県にも現地オフィスがオープンし、現地人スタッフは3名になりました。

シエラレオネの国営テレビ番組やラジオ放送、新聞で取り上げていただき、その様子をテレビ東京「世界ナゼそこに?日本人」に密着取材していただいたこともありました。

当時も、アルバイトをしながら現地への渡航を5回繰り返している状況でしたが、今まで心配していた両親や親戚、地元の友達は、激励の言葉をたくさんかけてくれました。

「これからも、応援してくれる人たちを後悔させない。応援していてよかったと思われる活動をしていこう。」と胸に刻まれた経験となりました。

 

06 現地スタッフシアとの出会いと価値観の変化

現地オフィスをオープンした直後、当時の支倉事務局長(現・副理事)との間に新しい命を授かりました。
子どもを持つことが二人の夢だったため、嬉しい反面、下里の渡航期間中にしか進まない現地のプロジェクトへの焦りもありました。

妊娠期間は学生のインターン生の角田が、産後2ヶ月は支倉事務局長が、現地渡航を担いました。

この期間に大活躍してくれたのが、アラジの現地スタッフとしてコミットしてくれた、シア・ブライマ 当時23歳です。(写真右)

シアは、シエラレオネのンジャラ大学で学士を取得し、すぐにアラジにジョイン。

まかせられた業務を遠隔でもしっかりとこなしてくれました。理事会では、現場でのプロジェクトを彼女主導に切り替えてはどうか、という話があがってきていました。

そして2019年11月、今後のプロジェクトの方針や業務のすり合わせ、私たちの想いや価値観を、きちんと共有しておこうという意味も含め、シアを日本に招待しました。

彼女の来日に関して、たくさんの方にサポートをいただき、理事会への参加、活動報告会での登壇、またサポーターさん達による観光案内など、充実した2週間を送ることができました。

「どうしてアラジに就職してくれたの?」

という日本のサポーターさんからの質問に…

「こんなに遠い発展している場所から、毎回飛行機を乗り継いでやってくる、代表のYumeさんのパッションに圧倒されたから。シエラレオネ人の私自身も、将来の子どもたちの力になりたい。」

との思いを語ってくれました。

下里は、シアの渡航中に、日本の文化や歴史に触れてもらい、経済発展し充実した社会保障があるけれど、人との交流が薄れ、過労による自殺者も多いことなど、いい面も悪い面も、彼女にじっくりとシェアしていきました。

下里は、日本を気に入ってもらえたら良いなという気持ちでシェアしていましたが、シアの反応は意外なものでした。

「ドラマや映画で発展については知っていたから、あまりビックリはしなかったわ。

スーパーに山ほど商品が積まれているけど、口にあうものを探すのが大変。寒いし、日本人は英語はしゃべれないし、ここでは暮らせないわね。」

また、

「日本人は忙しくて道端でおしゃべりなんかしない。シエラレオネが日本のように発展しても、人々が挨拶を交わしたり、地域と交流したりすることを辞めずに成長していける。」

と断言し、シエラレオネに帰っていきました。

確かに、超高齢化社会を迎えた世界のモデルである私たちの蓄積されたノウハウは、これから超加速するアフリカ経済への発展の役に立つでしょう。

アフリカは、アフリカならではに発展していける、そんな希望を抱いた日本渡航でした。

この時から、シエラレオネに身を捧げたい!と思っていた下里の価値観は、大きく転換していきました。

私たちの想像で物事を決めるのではなく、シエラレオネ人自身がオーナーシップをもって、将来の子どもたちのために、主体的に行動していくことが一番大切。現場の人々の発展を信じて、現場のスタッフ主導に切り替えていこう。

この想いの転換を機に、私たちは、理事会やサポーターさんの意見をもとに、プロジェクトを立案していくのではなく、まず現場に住み、プロジェクトを実際に実行する、現地スタッフや現地パートナーの声を一番に尊重する、という行動にシフトしていきました。

2020年にCOVID-19感染症予防のための啓発活動や、感染予防物資の配布、緊急食糧支援などを行いました。現地スタッフのシアに、小学校支援を展開しているポートロコ県への食糧支援の段取りをまかせたところ…

トラックを手配し、ボランティアの男性を3人アテンドし、アラジが過去に作成した住民票をもとに、農村部の住民約1,300名一人ひとりへ、食料を平等に届けることに成功しました。

07 努力の正体とは

「下里さんは挑戦力がある。」

「バイタリティがあって努力し続けている。」

と言われ続けてきた下里。

「私が苦労し、努力し、挑戦してこられたのは、なぜなのか?」

と考え続ける中で、一つの考えに辿り着きます。

「私が特別だったわけでも、天才だったわけでもありません。

私には、親の借金や介護もなく、自分自身に病気もなく、勉強を小学生から大学まで16年も続けることができた。一見当たり前のようなことですが、それらに恵まれていた。ただそれだけです。

特に、大学に行き、人生の恩師となる先生に出会い、その後の道を切り開くことができたのは、母が頑固者の父と再婚し、学費を払ってもらえていたことが大きかったと思います。

その後も、支倉という、経営経験豊富な人物がアラジに参加し、のちに結婚し、家事に育児に役割分担もせずに積極コミットしてくれたから、今の活動を続けられています。」

 

アラジでは現在も、農村部の学校に通うことのできない子どもたちや、都市部で両親を失い、勉学を続けることが困難な子どもたちのサポートをしています。

1日1食しか食べられず、勉強どころじゃない、努力したくても、働かなければならない、挑戦したくても、チャンスがない。

そんな環境にいる子どもたちが、例え夢を描いたとしても、努力を続けることは本当に難しい。

挑戦し続けられることは、当たり前のことではなく、本当に尊いことなのです。

下里には、「安心や安全」という努力できる環境が、はじめから整っていただけなのです。

自分が今、努力できていると考える人は、自分だけが物語の主人公だと思ってはいけません。思うように努力を積み上げられない人とぜひ一緒に歩んでください。

努力は精神論ではなく、方法論。努力できる環境を整えることができれば、人は目標にむかって、変わることができると下里は考えています。

下里の考える方法は、尊厳を持って働くシエラレオネの人々自身が、機会を失ったシエラレオネ人を助けること。

そのサポートを、生涯かけて、すべきだと思っています。

08 未来のNPO法人アラジ

私たちは、これからも、首都フリータウンにおいて、両親を失い勉学を続けることが難しい、里親家庭・母子家庭の子どもたちへの毎月の現金給付支援、農村部においては、小学校への教材・給食費の定額給付支援などのサポートを続けていきます。

いつも現場で奮闘してくれている現地スタッフや、現地パートナー団体には本当に感謝しています。

また、顔の見えないシエラレオネの人々を想い、努力して稼いだ貴重なお金を、毎月サポートしてくださる日本の皆様に、心から感謝いたします。

私たちが、より遠くへ挑戦し続けられているのは、毎月500円(1日15円)をサポートし続けてくださっている、マンスリーサポーターの皆様のおかげです。

実は、一度の大きな寄付よりも、毎月少しづつ支援をして下さる人がたくさん増えるほうが、活動としてはリスクが少なく継続性があり、計画も立てやすいため、とてもありがたいのです。

下里は、70歳まで、この活動を続けていきます。

小さなストリートチルドレン

赤ちゃんを抱っこし物乞いを続けるガリガリに痩せた女性

シエラレオネに行くたびに、”何もできず”無力な自分が嫌だった。

でも、今の私たちなら、できる。

コットンツリーの前に物乞いが並ぶ、あの景色を一掃できる。

これからも、アラジがもっと遠くまで行き、一番サポートを必要としている人々の最初のチャンスになれるよう、応援していただけますと幸いです。

月額500円(1日15円)から、アラジの活動に参加できます。

マンスリーサポ―ターとしてアラジの仲間になって、一緒に課題解決への活動に加わってください。

    

 

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